料亭左阿彌

KYOTO MARUYAMA PARK SAAMI

京の歴史とともに

東山の庵に左阿彌が誕生したのは、元和元年のこと、織田信長の甥である織田頼長により、安養寺の末寺として建てられました。

頼長の父は、茶人の織田有楽斎。頼長も又、雲生寺道八と号し、この地で茶事を極めたと云います。江戸時代、安養寺のある東山あたりは、遊興の地として大変なにぎわいでした。中でも左阿彌は、安養寺「円山の六坊」の一つと数えられ、文人墨客の集うところとなり風流の限りが尽くされたと伝えられています。

左阿彌が料亭を始めたのは嘉永二年。明治維新以降、御前会議にも使われました。有栖川総督宮や山県有朋参与が止宿され、頼山陽先生や土田麦僊画伯によってこよなく愛されました。さらに、川端康成や志賀直哉の文豪をお迎えし、作品『暗夜行路』・『古都』にも左阿彌がでてまいります。京都を描いた名作の作家らも、ここで京都の風情を楽しみました。

料亭左阿彌 玄関アプローチ

織田頼長

織田信長の弟である織田長益(有楽斎)の第2子(嫡子)です。大坂冬の陣で、長益(有楽斎)と従姉妹の淀君とともに大坂城に籠城し、二の丸玉造口などを守備されました。1万人あまりの部隊を指揮したといわれています。1615年の大阪夏の陣前に大阪城を退去され、入道し織田道八と名のり、茶人として左阿彌に隠居されるようになります。千利休に茶道を学び、利休十哲の一人とされる織田長益(有楽斎)が創始した有楽流を継承されました。

左阿彌の建立

左阿彌が建立された元和元年。西暦では1615年であり、今から400年程昔になります。主な出来事としては、1600年の徳川家康の覇権を決定付けた『関が原の戦い』、1603年の征夷大将軍の徳川家康による江戸幕府の創設、1611年後陽成天皇が譲位し、その後、第108代後水尾天皇となる。1615年『大阪夏の陣』があげられます。

左阿彌の料亭としての創業

左阿彌創業の嘉永2年というのは、西暦1849年のことであり今から160年余り昔になります。主な出来事としては、嘉永6年(1853)ペリー艦隊来航・安政4年(1857年)江戸幕府の大老井伊直弼による安政の大獄が始まる・安政7年(1860年)桜田門外の変・文久2年(1862年)寺田屋騒動・文久3年(1863年)新撰組結成があげられます。現在の円山公園内になる1886年以前、円山に安養寺の塔頭の、多蔵庵春阿弥、延寿庵連阿弥、花洛庵重阿弥、多福庵也阿弥、長寿院左阿弥、勝興庵正阿弥、があり「円山の六坊」と呼ばれていました。塔頭は後に遊覧酒宴の宿となり、僧坊は貸し席、料亭に変わっていきました。重阿弥では、赤穂浪士により、吉良上野介の首を討ち取ることが決定した円山会議が開かれています。左段上から3つ目の写真、世阿弥は、連阿弥、重阿弥を合併し、京都で始めてのホテル、也阿弥ホテルになりました。春阿弥は、1877年に温泉場となり、1906年に焼失しました。左阿彌も明治維新以降の御前会議(明治期から太平洋戦争終結時まで国家の緊急な重大事件に際し、天皇の出席のもとに行われた元老、主要閣僚、軍部首脳の合同会議をいい、重要な国策を決めた会議)に使われました。六阿彌のうち左阿彌のみが今に至るまで料亭として残りました。

近隣の風景

知恩院

知恩院

知恩院は、京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院。山号は華頂山。詳しくは華頂山知恩教院大谷寺と称する。本尊は阿弥陀如来(阿弥陀堂)、開基(創立者)は法然である。浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」と呼ばれている。

円山公園

円山公園

円山公園は、京都市東山区にある敷地約10万平方メールトルを誇る、回遊式庭園である。。広い園内には、野外音楽堂、坂本竜馬・中岡慎太郎の銅像などがあり、公園のほぼ中央にはある大きな枝垂桜は、祇園しだれの名で親しまれている。春には園内の各所に美しい桜が開花し、大勢の花見客で大変賑い桜の名所でもある。四季を通じて市民や東山界隈を尋ねて歩く観光客の憩いの場となっている。

鷲峰山高台寺(臨済宗建仁寺派)

鷲峰山高台寺(臨済宗建仁寺派)

東山霊山(りょうぜん)の山麓、八坂法観寺の東北にある。正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長11年(1606)開創した寺である。寛永元年(1624)7月、建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号した。造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行なったので、寺観は壮麗をきわめたという。しかし寛政元年(1789)以後、たびたびの火災にあって多くの堂宇を失い、現在残っているのは旧持仏堂の開山堂と霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台等で国の重要文化財に指定されている。尚、豊臣秀吉夫人(北政所)は天正16年(1588)に従一位に叙せられ慶長8年(1603)に後陽成天皇より高台院の号を賜り寛永元年(1624)9月6日、76才で亡くなられた。

祇園

祇園

祇園は、京都屈指の飲食店・繁華街として広く知られている。八坂神社の門前町として、鴨川から東大路通・八坂神社までの四条通沿いに発展した京都有数の花街である。祇園のほぼ中央に位置する祇園新橋は、国の伝統的建造物群保存地区にも指定されており、大変京都らしい町並みとして有名。美しい石畳の道では、お座敷へ向かう舞妓さんや芸妓さんの姿を見かけることもしばしば。格子戸の続く家並みには往時の風雅と格調がしのばれる。

お部屋

敷地内には庭園を望むように本館、別館五つの茶室。大広間から多目的ホールや大小多数の小部屋までございます。

敷地面積:3,000平方メートル 1,000坪
延床面積:1,700平方メートル 570坪 


二階 大広間(聚楽殿)

200平方メートル 70坪


一階 広間(清風殿)

150平方メートル 50坪


B階 洋間(長寿殿)

55平方メートル 18坪


お料理

吟味した素材を、手間を惜しまず丁寧に仕上げた料理は、いずれも和食の「真髄」が感じられるものばかりです。コクと旨み、奥行きのあるその味わいは、旬の素材が秘めた力を極限まで引き出します。料理長の鋭い感覚と技が生み出す四季折々の味をご満喫ください。

お昼の華御膳
    HANA GOZEN

¥7,475 (税込¥8,222)

午前11時より午後2時まで

お昼の京懐石
  LUNCH KAISEKI

¥10,350 (税込¥11,385)
¥12,650 ~ ¥46,000 (税込¥13,915 ~ ¥50,600)

ご予算に応じてご用意させていただけます

京懐石

¥12,650 ~ ¥46,000 (税込¥13,915 ~ ¥50,600)

旬の味わいに、選びぬかれた器と情緒深い京景色をお楽しみください。

ご披露宴御祝膳

¥14,950 ~ ¥46,000 (税込¥16,445 ~ ¥50,600)

たいせつな日に、思い出に残る伝説的な演出をご堪能下さい。

ご法事 偲ぶ御膳

¥12,650 ~ ¥46,000 (税込¥13,915 ~ ¥50,600)

偲ぶ日に、歴史あるたたずまいで味わい深い京料理を御賞味ください。

※料金は税・サービス料込です。
※旅行社様は、別メニューになりますので、お問い合わせください。

アクセス

料亭 左阿彌

KYOTO MARUYAMA PARK SAAMI

住所 〒605-0071
京都府京都市東山区円山公園
電話
ファックス
お車でお越しの場合
  • 名神高速道路・京都東インターより20分
  • 京都南インターより20分
タクシーでお越しの場合
  • JR京都駅より約15分
  • 祇園石段下から3分
大型バス 大型バスプールの知恩院三門前駐車場より徒歩7分
徒歩
  • 八坂神社市営駐車場 知恩院パーキングより円山公園を通って7分
  • JR京都駅より市バス206番で祇園下車約7分
  • 阪急河原町駅より東へ約20分
  • 京阪四条駅より東へ約15分
※お車、タクシーでお越しのお客様は八坂神社の一筋南の通りを東へ200m、長楽寺の先です。
料亭 左阿彌

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〒605-0071
京都府京都市東山区円山公園